HSPの私が感じた、ささいなことで動揺してしまうことの難しさ | ライフ論

HSPの私が感じた、ささいなことで動揺してしまうことの難しさ

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あなたのその敏感さは欠点じゃない

HSP(ハイリー・センシティブ・パーソン)というのはエレーン・アーロンという方が提唱している5人に1人はいるというある気質の持ち主のことです。日本では「敏感すぎる人」という表現を用いて出版されている本が増えてきました。

「あなたのその敏感さは欠点じゃない」そういう言葉かけを子供のころからかけられていたら、自分の性格に対する劣等感も軽減されたかもしれません。今は気分が落ち込んでしまったときに、自分自身に言い聞かせるようにしています。

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「ささいなこと」で片付けてしまう難しさ

HSPは繊細で敏感すぎるがゆえに、周囲で起こるささいなことに動揺してしまうことがあります。大人になった今でこそ、それがささいなことだと思えるのですが、子供の頃はそうではありませんでした。周囲の大人や子どもがささいなことだと考えている出来事のほとんどは私にとっては「ささいなこと」ではなかったのです。

たとえば、ちょっとしたまわりの音に驚いてしまうため、家の中の奥の部屋が一番静かで安心でした。一般的な考えがどういうものか一概に言えませんが、犬に吠えられるのは「ささいなこと」で、犬に手を噛まれたら「おおごと」でしょうか。その線引というのは人それぞれで、難しいと思います。

小学生のとき、先生に怒られた経験は誰にでもあることかと思います。ですが、そのとき怒られたことが、後々どのようにその子の記憶に残るかには大きな差があります。敏感であるがゆえに、二度と怒られまいとして注意して行動するようになる場合もあれば、怒られたことのショックが大きく、その事柄を避けるようになる可能性もあります。私は後者の方でした。けれどもそれはHSC(ハイリー・センシティブ・チルドレン)だったからなのか、それとも未熟な子どもだったからなのか、そのどちらも関係していたかはやはり断言できません。

繊細で傷つきやすいのは事実としても、「ささいなこと」にも反応すると言われると受け止め方が違います。その言葉の裏には「小さなことなのに」、「そのくらいのことで」という意味合いが含まれているように感じます。

たとえば、おもちゃを壊してしまい泣いている子どもに対して、「そんなささいなことで泣かないで」といえば、ある子どもは安心するかもしれませんし、一方で別の子は、ショックを受けるかもしれません。

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「ささいなことで動揺してしまう」のはHSPだからかもしれません

「ささいなこと」で動揺してしまう人がいても、その本人にとっては「ささいなこと」ではない場合があります。大多数の人はささいなことだと捉えていても、HSPはそこから多くを感じとっていることがあるのです。

もしもあなたが身の回りで起こる様々なことに、ひどく動揺してしまうと感じているなら、それはあなたがHSPだからかもしれません。嬉しいことでも、悲しいことでも、心を揺さぶられることが多いと思うことはありませんか。

感動して涙したり、苦しくて思い悩んだり、そういう反応をするのは普通で、誰もがそうだと思っていました。けれども誰もが感動する話が存在しないように、皆が同じ出来事に心を痛めるわけでもないのです。

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時には情報をシャットアウトしてみることの大切さ

私はテレビで流れるニュース映像や、アナウンサーが淡々と読み上げるニュースに動揺してしまいます。誰かが亡くなったり、災害の情報が流れたとき、涙を流すこともあり、大抵の悲しい知らせにはひどく動揺します。

そんなときはニュースを見ないようにして、普段通りの生活を心がけるようにします。現実から目を背けているわけではなく、それらの悲しいニュースから一旦、程よい距離をとるのです。テレビで放送される映像はほとんどが同じ場面の繰り返しだったり、似た内容の番組ばかりです。ひとまずテレビからは離れて必要最低限の情報を自分で調べるだけにとどめることが気持ちを安定させるのにはよいでしょう。

テレビを見ない人、新聞を読んでいない人も多いです。ラジオを聞くという人やネットニュースだけ見る人、ツイッターやインスタグラムで情報収集する人もいます。情報過多で疲れてしまう前に、自分で調整することが必要になってきます。

なんとなくネットサーフィンしてしまうとき、ついついSNSをチェックしてしまうとき、テレビをつけっぱなしにしてしまうとき、意識してやめてみることをおすすめします。好きな音楽を聴いたり、気になる映画やドラマを見たりしてリフレッシュしましょう。

何かをすることに疲れたら、マインドフルネスや瞑想が手軽にできてオススメです。目を閉じて、今このときだけを意識するようにします。深呼吸して、周りの出来事や自分の考えからはなれて「いまここにいる」ことだけに気持ちを集中させるのです。10分、5分だけでもやってみるといいと思います。短い時間から始めて、だんだんと時間を長くするほうが続けやすいです。

しっかりとリフレッシュする時間をとる方が効果がでるのかもしれませんが、私は思い立ったときにいつでもやるようにしています。気がつくと呼吸が浅くなっていることがあるので、深呼吸をするだけでも脳に酸素が行き渡っていく感じがします。

ものさしではかることができない「ささいなこと」の大きさ

私がよく思うのは、人によって「普通」とか「常識」の基準が変わってしまうことです。HSPという概念を知ってから、これまで自分の性格や感じ方は後天的なものが大きいと考えていました。今でも耳しますが、「こういう家庭で育ったから〇〇だ」とか、「努力してこなかったから〇〇なんだ」という発想があります。たいていの場合、その人の経験や知人の例をあげて、それがまるで事実かのように思い込んでしまいます。

子供の頃、何度となく「細かいことにこだわりすぎる」と言われたことがありました。どの程度までなら細かくないのかなんて基準を示すことはできません。それが悪いことだとは言われなくとも、あきれたように言われるとなかなかこたえました。

以前、床の傾きで体調不良になるという新聞記事を読んだことがあります。

http://news-sv.aij.or.jp/shien/s2/ekijouka/health/index.html

建物の傾きによる健康障害
https://gooday.nikkei.co.jp/atcl/report/14/091100031/111600183/

床が1度傾くだけでも、健康被害がでるそうです。たった1度というと、ささいな違いのように思えるのですが、実際はそうではないようです。床の傾斜は計測すれば数値で示すことができます。0.6度程度の傾きでめまいや頭痛が見られるそうなので、ものさしではかることのできて、説明すれば理解されやすいでしょう。いろんなことが数値で示せたら分かりやすいのに…と感じます。

人の感覚や物の見方をものさしではかることは難しいことです。もしも、街中で声を荒げている人がいたら、その状況に恐怖を感じることがあります。そういうときはすぐ、いかにしてその場を速やかに離れるかを考え行動しています。場合によってはその周辺には近づかないようにしようと注意するでしょう。

ガタイのいい男性が怒鳴っていたら?声を荒げている人が女性だったら?ただの痴話喧嘩だったら…恐怖は感じないかもしれません。近くで怒鳴り声が聞こえて、身の危険を感じたりすることを「ささいなこと」とは表現しません。ただ、どのような出来事に身の危険を感じるかが違っていれば、「ささいなこと」の内容も変わってきます。

「ささいなこと」について考えすぎないこと

HSPやHSCについて説明される場合も、「人からよく『繊細だね』と言われる」という表現が出てきたりします。人と比べてどうであるかが判断基準のひとつになります。

私は親しい人にも特にHSPだということを話したことはありません。すでに親しくしている人とは、お互いにどんな性格なのかをある程度把握しているからです。改めてあれこれ説明したりすることもないだろうと考えています。なので、今後も自分から話をしようとは思っていません。

ときどき嫌な出来事に遭遇して、落ち込んだり不安になったりすることがあります。そんなときの対処方法はだいたい2通りです。「これはささいなことだから考えないようにしよう」と片付けるか、「これは私にとって大問題だから、落ち着いてから考えよう」とするかです。考えないようにしても、どうしても気になって思い出してしまうなら、それは「大問題」なのだと考え直します。

今でこそ不安な気持ちにうまく対処する方法を実践していますが、ここにたどり着くまではいつも「大問題」に悩まされていました。先行きがわからない不安と、この先どうなるかわかっているからこその不安に振り回されていたとき、HSPという概念を知って楽になりました。

自分の考え方や感じ方が、特異なものではないから考えすぎても変わらないと思えるようになってから、考え込む頻度が減りました。考えすぎることで、良い方向へ変わるとは限らないし、時間が解決することもあると思えるようになって、物事を前向きにとらえられるようになりました。

「ささいなこと」かどうかを決めるのは自分自身

初めて自分がHSPだと思ったときに、その当時親しくしていた人にそのことを伝えましたが、あまり好ましい反応ではありませんでした。私の伝え方がよくなかったのかもしれませが、やはり言い訳のように受け止められてしまいました。HSPを言い訳にして、自分の考えを正当化し、現実の問題から逃げていると思われてしまったようでした。

このときわかったことは、私は誰かに自分がHSPだと知ってほしいわけじゃなかったということです。

HSPを知って気持ちがラクになったことが、なによりも大きな発見というか、重要な出来事でした。自分がずっと気になっていて、疑問に思っていた、知りたかったことがわかったときの嬉しさが大きかったです。だから、今も誰かにHSPだということをわかってもらいたいという思いはありません。それは私にとってはささいなことだからです。

自分の中に新しい軸を作ることで、周りで起こることへの対応がスムーズになりました。優先順位を決めるとき、自分の価値基準に基づいて考えるとストレスが少なくてすみます。私にとって大事なことは、無理をしないことです。「ささいなこと」かどうかはそのときの自分次第でいいと思えるようになりました。

誰かが「ささいなこと」と思っても、自分にとっては大事なことであるときもあります。その逆だってありえます。私にも、ささいなこととして片付けてしまう出来事がたくさんあって、その中には誰かにとって大きな出来事が含まれているでしょう。自分の基準を作ることで、あれこれ悩むことも減ったため、困ったときでも少しの余裕をもって対処できます。HSPの人はみんなこうすればいいとは言いませんが、一つの方法として自分軸を作ることをオススメします。

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